『ディア・エヴァン・ハンセン』は2016年にブロードウェイで開幕し、翌年のトニー賞で作品賞を受賞したミュージカルです。2021年には映画版も公開されました。映画版の音楽の魅力は既存の記事で扱っているので、この記事では舞台の物語の流れに沿って、主要な曲がどの場面で何を動かすのかを解説します。
※物語の核心に触れます。
物語の出発点
主人公エヴァンは、社交不安を抱える高校生。セラピストの勧めで、「親愛なるエヴァン・ハンセンへ」と自分宛ての手紙を書く課題をこなしています。ある日、その手紙が同級生コナー・マーフィーの手に渡り、数日後、コナーは自ら命を絶ちます。コナーのポケットに残されていた手紙を、両親は「息子がエヴァンに宛てた遺書」だと思い込む ― ここから、エヴァンの嘘が始まります。
主要ナンバーと場面
『Waving Through a Window』― 孤独の自己紹介
序盤、エヴァンが自分の孤独を歌う曲です。窓越しに世界を眺め、手を振っても誰にも気づかれない。この曲が最初に置かれることで、観客はエヴァンがなぜ嘘にしがみつくのかを、彼を責める前に理解させられます。物語全体の前提を作る歌です。
『For Forever』― 最初の嘘が膨らむ
マーフィー家に招かれたエヴァンは、存在しなかった「コナーとの友情」を即興で語り始めます。二人で過ごした夏の一日を描くこの歌は、嘘が歌われた瞬間に、美しい記憶として立ち上がってしまう場面。悲しみに暮れる両親が救われた顔をするほど、エヴァンは引き返せなくなります。
『You Will Be Found』― 嘘が希望に変わる
第1幕の終わり、エヴァンはコナーを追悼する集会でスピーチをします。「誰も一人じゃない、必ず見つけてもらえる」というメッセージは動画で拡散し、見知らぬ人々の心を動かしていく。この曲の厄介さは、嘘から生まれた言葉が、本当に人を救ってしまうことです。観客は感動しながら、同時に不安になります。
『Words Fail』― 嘘が崩れる
第2幕、真実が露見したあと、エヴァンがマーフィー家の前で歌う告白の曲です。言葉が出てこない、言い訳ができない ― タイトルどおり、この歌は「歌えないことを歌う」場面。物語の最も苦しい地点で、エヴァンは初めて嘘なしで立ちます。
『So Big / So Small』― 母の歌
崩れ落ちたエヴァンに、母ハイディが歌う曲です。父が出て行った日、幼いエヴァンの前でどれほど不安だったか、それでも一緒にいると決めたこと。物語の解決は、劇的な和解ではなく、母が「ここにいる」と告げることで訪れます。この作品が最後に置くのは、恋でも名声でもなく、この一曲です。
曲の配置が語っていること
この作品の劇中歌は、嘘の誕生→拡大→崩壊→回復という物語の段階に正確に対応しています。とくに『You Will Be Found』と『Words Fail』の対比は鮮やかで、前者が「大勢に向かって歌われる美しい嘘」なら、後者は「数人の前で歌われる醜い真実」。どちらが人を救うのか、という問いを、曲の配置そのものが投げかけています。
まとめ
『ディア・エヴァン・ハンセン』は、SNS時代の孤独と承認をめぐる物語であると同時に、「歌が物語を動かす」というミュージカルの力学を、ほとんど教科書のように見せてくれる作品です。上演情報は公式サイトでご確認ください。
そして「一人の歌い手が、嘘も強がりもなく立つ瞬間」を描いた一曲を、もうひとつ。
▶ 強さと脆さが同居する一曲を
「オッドアイ」― 音楽物語『flehmen』の主題歌
聴きどころ:切なさと力強さが同居する一曲。胸を締めつけて、最後に前を向かせてくれます。
→ flehmen「オッドアイ」を聴く
文責:motet 編集部

