ヨルシカ『八月、某、月明かり』のMVが公開されましたね。
ファンにとっては旧知の名曲のMV化ということで、かなりの盛り上がりを見せています。
ヨルシカの楽曲には、派手な仕掛けや過剰な主張がありません。
それでも一度聴くと、なぜか記憶に残り、時間を置いてまた戻ってきたくなる。作曲家として分析していくと、その理由ははっきりしています。
音作り・メロディ・世界観、そのすべてが極めて高い精度で整理されているからです。
この記事では、プロ作曲家である私の視点から、ヨルシカの楽曲について、具体的な曲名を挙げながら解説していきます。
1|ヨルシカの作曲を支える、ギターサウンドの完成度
ヨルシカの音楽を特徴づけている最大の要素のひとつが、ギターのサウンドメイクです。
特にクリーントーンからクランチにかけての透明感は、日本のポップスシーンの中でも随一だと感じています。
代表的なのが 「ただ君に晴れ」。イントロの時点で、曲の情景と温度感が一気に伝わってきます。歪みすぎないギターが、歌の邪魔をせず、しかし確実に感情を支えています。
同じく 「言って。」 でも、ギターは前に出すぎず、リズムとメロディの骨格を静かに形作っています。
ヨルシカのギターは「かっこよさ」を誇示するのではなく、曲の空気を整える役割を徹底して担っています。
2|すべての曲に物語がある、世界観重視の作曲設計
ヨルシカの作曲を語るうえで欠かせないのが、世界観への徹底したこだわりです。
単曲として成立しているだけでなく、作品全体でひとつの物語を描く姿勢が一貫しています。
その象徴が 「だから僕は音楽を辞めた」。楽曲単体でも完成度が高いですが、アルバム全体の文脈の中で聴くことで、曲の意味がさらに立体的になります。
対になる存在として位置づけられている 「エルマ」 収録曲群も、日記という形式を通して、感情の内側を丁寧に描いています。
作曲の段階で「この曲はどんな場面の音楽なのか」が明確に設計されているため、聴き手は迷わず世界に入っていけます。
3|ペンタトニックと王道進行を、正面から成立させる技術
ヨルシカの楽曲は、理論的に見ると非常に王道です。
ペンタトニックスケール、定番のコード進行、覚えやすいメロディライン。奇抜な理論はほとんど使われていません。
それでも陳腐に聴こえない理由は、音の配置と間の取り方が極めて正確だからです。
たとえば 「花に亡霊」。メロディはシンプルですが、リズムの置き方とコードの流れによって、感情の起伏が自然に生まれています。
同じく 「春泥棒」 も王道進行ですが、サビに入る瞬間の解放感は計算され尽くしています。
王道を使うからこそ、誤魔化しが効かない。その前提で作られている点に、職人としての強さを感じます。
4|suisさんの声質を前提にした作曲バランス
ヨルシカの作曲は、suisさんの声質ありきで完成します。
この声があるからこそ、ヨルシカの楽曲は過度に感情的にならず、一定の透明度を保っています。
代表的なのが 「靴の花火」。抑制された歌い出しからサビにかけて、声の表情だけで感情のグラデーションを描いています。
同様に 「藍二乗」 では、声が前に出すぎないことで、歌詞の余白が生きています。
suisさんの声は、強く押し出すというより、音楽の中に溶け込むタイプです。そのため、ギターやピアノの音色と非常に相性が良く、アレンジ全体が整理された印象になります。
5|コンセプトアルバムで示した、作曲家としての射程
ヨルシカは、ポップスでありながら「音楽そのもの」をテーマにできる稀有な存在です。
アルバム 『盗作』 では、創作と模倣、オリジナリティについての問いが楽曲全体に通底しています。
表題曲 「盗作」 だけでなく、「思想犯」 や 「爆弾魔」 なども、個人の内面と社会性を行き来する構成になっています。
抽象的なテーマを扱いながらも、聴きやすさを失っていない点は、作曲技術の高さによるものです。
まとめ|ヨルシカの作曲は“王道を丁寧に磨き切る”という選択
ヨルシカの作曲を一言で表すなら、
「王道を、王道のまま最高精度で届ける音楽」だと思います。
- クリーンで透明なギターサウンド
- すべての曲に宿る物語性
- ペンタトニックと定番進行の精密な運用
- suisさんの声質を活かし切る設計
これらが揃ったとき、ヨルシカの楽曲は静かに、しかし確実に心に残ります。
派手さではなく、完成度で勝負する。
ヨルシカの作曲は、ポップスというジャンルの強さを改めて証明している存在だと言えるでしょう。

