日本のポップシーンの中で、近年もっとも勢いと影響力を見せつけている存在の一人が Mrs. GREEN APPLE の大森元貴 だ。彼の作る曲は、J-POP の王道を踏まえながらも、どこか一段上の景色を見せてくれる。音楽関係者の間では「天才」という言葉が当たり前のように飛び交うが、プロの作曲家として私自身が分析してみても、その評価は決して大げさではない。
むしろ、理由がハッキリしている“必然の天才”だと強く感じる。
ここでは、
「大森元貴の作曲はなぜここまで唯一無二なのか」
その本質を私なりに紐解いていきたい。

モーツァルトを思わせる「天才性」の正体
速すぎる作曲スピードは“思考と音”が直結している証拠
大森元貴の作曲スタイルを語るうえで欠かせないのが、その 圧倒的な早書き だ。
もちろん「早く書ける」=「良い音楽」ではない。しかし、大森の場合は別だ。
普通なら数日、場合によっては数週間かけてまとめ上げる曲を、
彼はまるで メロディが最初から頭に完成形で存在している かのようにスラスラと形にしてしまう。
このタイプの作曲家は非常に珍しく、歴史上で言えば モーツァルトに近い天才性を感じる。
- 曲の設計が速い
- メロディラインに一切の迷いがない
- 必要な音を瞬時に選べる
これは「才能」という一言で片付けるより、もう“生理的に音楽と繋がっている”と表現したほうが近い。
明瞭なメジャースケールへの信頼
大森の楽曲は、根底に 明るくて伸びやかなメジャースケール が流れている。
この“メジャーの開放感”が、Mrs.GREEN APPLE の王道ポップスを象徴する音になっている。
作曲家として分析すると、
- メロディの動きが大きくても破綻しない
- コード進行にポップさが宿りやすい
- 聴き手の感情を一気に上へ引っ張れる
というメリットがある。この感覚的なセンスもまた、大森の“モーツァルト性”を強く感じる部分で、明るさの裏にある繊細な情緒が曲に奥行きを作っている。
圧倒的な歌唱力が“作曲の上限”を押し上げる
作曲家として最も羨ましい才能は「歌えること」
大森元貴の最大の武器は、実は作曲スキルだけではない。
本人の歌唱力が飛び抜けているという点だ。
“歌えてしまう作曲家”は、楽曲の設計そのもののレベルを上げられる。
普通の作曲家は、どうしても「歌い手の負荷」を考えてメロディラインにブレーキをかけてしまう。
だが、大森は自分自身がとんでもなく歌えるため、遠慮がない。
- 高音域を自由自在に使う
- 難易度の高いメロディをあえて採用する
- リズムの取り方が大胆
- 時に曲の“重心”そのものを動かすほどの変化を入れる
つまり、**「歌えるからこそ書ける曲」**を作れる稀有な存在なのだ。
私自身、作曲をしていて「これは歌える人が限られるな」と一度躊躇することがある。しかし、大森はそこを突破していく。制限がない分、楽曲の“上限”が他の作曲家より桁違いに高い。
表現の遠慮がないから新しい扉が次々と開く
大森の楽曲を聴いていると、時々「それやっていいの!?」と思うような大胆な展開がある。
でも、それが成立してしまうのが彼のすごいところだ。
たとえば、
- メロディのジャンプ幅
- リズムの急激な切り替え
- コードの思い切った転調
- ボーカルアレンジによる劇的な空気の変化
こうした“作曲家なら普通は遠慮するところ”を全力で踏み込んでくる。
しかも破綻しない。むしろ自然に聴こえてしまう。
この「自分の声で曲を成立させる確信」が、大森元貴の表現の爆発力を支えている。
フェーズ2で見せた“日本音楽史レベル”のスケール
楽曲だけじゃない、“世界の作り方”が桁違い
Mrs. GREEN APPLE のフェーズ2で見せた数字は、ただのヒットを超えて“現象”だった。
- 圧倒的なストリーミング再生
- 動画プラットフォームでの爆発的な拡散
- ライブ動員の異常な伸び
- SNS でのティーン層への浸透
これらは偶然ではなく、大森自身が作り上げた音楽と世界観が、時代の空気と完全にシンクロした結果だ。
私も作曲家として数字の伸び方には敏感だが、フェーズ2の成長曲線は明らかに規格外だった。
これは間違いなく、今後語り継がれる“日本音楽史の特筆すべき瞬間”だと言える。
フェーズ2楽曲に共通する特徴
フェーズ2での楽曲には以下の傾向が見られる。
- メロディの跳躍幅がさらに大胆に
- メジャーとマイナーの切り替えが物語的
- ボーカルとトラックの一体感が極まっている
- リズム構造が若い世代の体感とシンクロする
これは大森が「何をどう聴かせれば曲が伸びるのか」を感覚的に掴みながら、
それを高度な技術で一段洗練させた結果だと私は考える。
フェーズ2での成功は、単に曲が良かっただけではない。
曲作り・ボーカル・プロデュース・世界観構築…
あらゆる能力を一人で高次元に統合できるアーティストだからこそ実現した数字なのだ。
大森元貴がJ-POPを変えた理由
作曲基準が一段上がった
作曲家として分析すると、大森元貴の登場以降、
J-POPの“メロディの許容範囲”が明らかに広がっている。
- 高音域の使い方
- メロディの動きの大きさ
- ボーカルの表現力への依存度
- 明るく、軽やかで、それでいて強いメロディ構築
これらが“若い作曲家たちの新しいスタンダード”になりつつある。
つまり、彼は時代の音の基準そのものを更新した存在なのだ。
「技術」と「感性」が両極で尖る稀有な才能
大森元貴は、
- 技術的にも高度
- 感性的にも天才
という、相反するベクトルの才能がどちらも極端に高い稀有なタイプだ。
音楽理論の精密さと、感情をそのままメロディに変換できる大胆さ。
この両立は簡単ではない。どちらかに偏る作曲家が多い中、大森はそのどちらも突き抜けている。
だからこそ、彼の楽曲は“強いのに繊細”“聴きやすいのに深い”という、
一見矛盾する魅力を平然と成立させてしまう。
大森元貴は「天才型」でありながら“努力型”でもある
ここまで大森元貴の作曲について語ってきたが、最も強調したいのは、
彼は才能だけで到達したわけではないということだ。
- 卓越した歌唱力
- 驚異の作曲スピード
- 圧倒的な音楽センス
- フェーズ2での歴史的成果
これらを実現した背景には、音楽への異常なまでの真摯さと、
細部に宿るこだわりがある。
私自身、作曲家として彼の音楽に触れるたび、
「音楽はまだこんなに新しくできるんだ」と思わされる。
大森元貴は、間違いなく日本のポップスを“次の時代”へ押し進める存在だ。
そしてその歩みは、これからさらに大きな節目を迎えていくだろう。
