【解説】”手のひらの部屋” ― もうない仮の宿を、手のひらが覚えているまで

こんにちは。リュウタロウ先生です。東京芸大休学中の作曲家です。

AI作曲はダメとかよく聞きますが…一方で、古今東西の音楽を学習して出来上がっているものなので、分析すると意外と作曲の勉強になったりします。

本記事ではAI作曲で作られた楽曲の音楽理論的側面を分析していきます。

今回取り上げるのは flehmen の「手のひらの部屋」。万葉集の一首を下敷きにした曲で、テーマは「もう存在しない場所の記憶」です。ただし、嘆きの歌ではありません。そこがこの曲の面白いところです。

下敷きは万葉集 巻一・7番です

秋の野の み草刈り葺き 宿れりし
宇治の宮処の 仮廬し思ほゆ

万葉集の巻一、7番。額田王(ぬかたのおおきみ)の歌として収められています(左注には古歌との注記もあります)。

意味はこうです。秋の野の草を刈って屋根に葺き、一夜を過ごした、あの宇治の仮の宿が思い出される。「仮廬(かりほ)」は、旅の途中で間に合わせに建てる仮小屋のこと。自分たちの手で草を刈り、屋根を葺いて、一晩だけ泊まった。その場所はもうない。それでも思い出される。

注目したいのは、この歌が「失った」と嘆いていない点です。手を動かして作った、その手触りごと思い出している。草を刈った感触、狭さ、一夜の温度。喪失の歌というより、身体に残った記憶の歌です。

身体の記憶を、どの音楽に乗せるか

この「手が覚えている温度」を、どう音にするか。

この曲が選んだのは、深夜のソウル・バラード でした。エレクトリックピアノ(Rhodes 系の音色)、クリーンなギターのアルペジオ、ブラシで叩くドラム。テンポはスロー。大きな編成ではなく、近い距離で鳴る小さな編成です。

これは理にかなった選択だと思います。原歌の「仮廬」は狭い。壁が近く、天井が低い。その狭さを音にするなら、音像も近くなければいけない。Rhodes の丸い音とブラシの擦れる音は、耳元で鳴る種類の音です。広いホールの響きではなく、小さな部屋の中で、手を伸ばせば壁に触れる距離 の音像。編成の選択が、そのまま場所の記憶になっています。

【ワンポイント】記憶は、身体から先に来る
匂いや手触りが、意志と関係なく記憶を呼び戻すことがあります。プルーストの『失われた時を求めて』(第一篇は1913年刊)では、紅茶に浸したマドレーヌの味が、語り手の幼年時代をまるごと引き出す場面が知られています。頭で思い出そうとするより先に、身体が思い出してしまう ― 本曲の Verse にある「手のひらが先に思い出す」という一節は、まさにこの順番を歌っています。

歌詞の構造 ― 刈った草の屋根が、布で塞いだ壁になる

構成は、原歌を歌う Intro と Outro、現代語の Verse、英語の Chorus の組み合わせです。

Intro では原歌が今の発音で歌われます。「あきののの みくさかりふき やどれりし」。「宇治」は「うじ」、「仮廬」は「かりお」、「思ほゆ」は「おもおゆ」と、綴りではなく音のほうで歌われる。ここは「いろはフロウ」以来の一貫した扱いです。

Verse で場面は現代へ移ります。低い天井、近い壁。狭さに覚えのある温度。壁に手をつけば、手のひらが先に思い出す。二つ目の Verse では、音を逃がしたくなくて隙間を布で塞いだ部屋、という描写が出てきます。原歌の「草を刈って屋根に葺く」という 自分の手で作った仮の場所 が、ここでは 自分たちで隙間を塞いだ小さな部屋 に置き換えられている。素材は草から布へ変わり、作った手の記憶はそのまま残る、という転置です。

Chorus は英語です。"the room is gone, but these hands remember" ― 部屋はもうない、でもこの手が覚えている。原歌の「仮廬し思ほゆ」を、「思い出す」ではなく「手が覚えている」と訳し直したところに、この曲の解釈が出ています。続く行では、時間が壁を持ち去り、住所を持ち去った、と歌う。失ったものを並べながら、最後は「それでも手のひらは間取りを知っている」で締める。喪失の列挙が、そのまま記憶の証明になる構造です。

Bridge には「返りの早い音」という言葉が出てきます。狭い部屋では、音がすぐ壁に当たって返ってくる。その距離感の記憶が、声を開くきっかけになる。場所の記憶を、音響の記憶として歌っているわけで、作曲家としてはここに唸りました。

Outro では、下の句「かりおしおもおゆ」だけが二度、静かに戻ってきて曲が閉じます。

結

「手のひらの部屋」を聴くときは、音がどれだけ近くで鳴っているかに耳を向けてみてください。Rhodes とブラシの距離感が、そのまま「狭い仮の宿」の記憶になっている。千三百年前の「仮廬し思ほゆ」を、この曲は音像の近さで歌っています。

いかがだったでしょうか?
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→ flehmen で物語といっしょに読む・聴く

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